そして誰もいなくなった

地下鉄 というのは、もう東京の地下をどんどん深く掘り進んでうねうね発展拡張している魔堀のようなものなのです。
なので、ごうごうと過ぎてゆく真っ暗な窓の向こうに目を凝らしていると、ふと、暗闇の奥行きに使われなくなった駅のホームが見えたりもするのである。
もう何年も前のことで、私はすっかりその路線を使うことはないのだけれど、あの幻の駅はいまは壁の向こうに閉ざされてしまったろうか。

……などという内容のエッセイだかなんかを最近読んだ気がするのだけど何処で読んだんだったっけ。。
学校や駅、新宿紀伊国屋交差点前など、常日ごろ「人がたくさんいて当然」という場所に「誰もいない」というシチュエーションを当てはめると、必要以上になんかぞぅっといたします
件の「幻の駅」を想像するとき、真っ暗なホームの端に立つ、いるはずのない古い制服の駅員と目があったらどうしよう!なんて考えるのは、違和感の補充をしようとしてますますぞぅっとするパターンなのやも。自分一人の妄想に怖がっているていたらく。
写真集「tokyo nobody」や映画の「ターン」なんかに感じるぞわぞわは、こういう感覚でもあるのでしょう。ターンはいいよ、中村屋の長男が。